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[リミット](2010) [サスペンス]

[リミット](2010)
原題:Buried
監督:ロドリゴ・コルテス
出演:ライアン・レイノルズ


あらすじ
イラクでトラック運転手をしているコンロイは木の棺の中で目を覚ます。
持っていたものを駆使して脱出を試みる。
※閉所恐怖症の人は絶対みちゃいけない映画です。


これはすごい!
かなりすごい映画だった。
まず、棺の中というかなり狭い空間にもかかわらず、完全なソリッドシチュエーションになっているというところ。
顔の出る登場人物は、彼と、愛人の女性(携帯の動画)のみ。
外の映像はいっさい映らず、ひたすら携帯電話でのやりとり。

・犯人との電話
 アメリカ人はイラクを爆撃してたくさんのものを奪ったから、おまえからも奪う。大使館に連絡して身代金を払えという要求や、愛人が処刑される動画がメールでくる。

・妻のリンダとの電話
 ずっと留守電で全然つながらない、最後につながってもうすぐ助けがくるから大丈夫だ、と話すことができる。
・認知症で施設にいる母親との電話
 あまり息子のことがわからないみたいで、亡くなったはず(?)の夫とトランプをしているとかなんとか言っている。

・テロ対策の担当官との電話
 最初は、こいつほんとに助ける気あるのかな?って思った。しかも対応が投げやりで、犯人に被害声明動画を録画して送れって言われてるのを「どうにかして引き延ばせ、撮るな」って、具体的にはなんのアドバイスもくれないし。
同じくイラクで働く愛人の女性が捕まっている映像を見せられて、彼女を助けたい一心でコンロイは犯人の言うとおり動画を送るんだけどYOUTUBEにアップされてものすごい数のアクセス数を叩きだしていたことを怒るのも、こんな対応ひどいだろって思う。
でも最後のほうで居場所がわかった!と連絡がある。しかも今までは相手の背後は静かだったのが、明らかに外に出ている音がする。よかった、ほんとに動いてくれてたんだ!と安心。
・働いていた会社の担当者との電話
 これが一番酷い。録音しますっていう時点でわかってたけど。
 要するに「あなたは今朝付けで解雇されていたことになったので、今捕まっていることや今後、ケガや死亡したとしても会社の責任ではないですよ。保険金もおりません」という通達。監禁されて絶望している相手に、しかも携帯充電できないってちょっと考えれば分かる相手に、やるか普通!? 

このくらいかな。
電話の電池いつ切れるんだろう、ってハラハラしていたんですが電話は最後までもちました(笑)テロ対策担当者に、携帯はバイブより音声のほうが節電になるからそうしろって言われたのに、途中でまたバイブに戻してしまったのはなんでなんだろう?
確かに着信音とかの電子音嫌いな人っているけど。

そして何がすごいって、ラストで本当に助からないのがすごい。
「マークホワイトという人も3週間前誘拐されたけど助けたから大丈夫」ってテロ対策の人はいうんだけど、ラストで「見つかったと思った棺はマーク・ホワイトのものだった」といわれ、電話が切れる。
つまりホワイトも監禁されたまま同じように棺に埋められて、で、3週間前っていうことだからきっと遺体で見つかったんだろうな…。
その頃ちょうどコンロイは、棺に砂が入ってきて1秒を争う状況のなかで、でも助けがもうすぐ来るんだ、あと3分で着くって言われた、妻とも電話で話せて愛してるって言えた、帰れる!という希望を見いだしたところだったんだけれど、そこで絶望に落とされる。
後味は正直悪いです。
でも、絶対助からないだろうっていう状況のなかで助かる人たちの映画(アクション映画とか)が多すぎるなかで、これはあえてのエンディングなのではないかな。
少なくとも、ハッピーエンドで終われない人たちも、世の中にはたくさんいるんだということを思い知る映画です。
そして同時に、絶望のなかでも家族だけは人の心の支えになりうる、というのもこの映画のテーマのひとつなんじゃないかなと思いました。

そしてもうひとつ。
犯人もまた、戦争被害者だったという描写があります。
子どもがいるんだと訴えるコンロイに「自分にだって息子はいた、5人だ。今は1人しかいない」と答える犯人。
9.11テロの主張の根底は、「アメリカは正義でも世界警察でもなく、声高な主張と圧倒的な軍事力とヒーロー願望のある巨大な一国にすぎない」ということだったと私は理解しています。
だからアメリカが悪い、とかではなく、アメリカもまた加害者になり得るという事実。

巨大なもの(アメリカ)に生活を奪われた犯人が、同じくちっぽけなコンロイという個人の人生をたてに巨大なもの(アメリカ)に立ち向かおうとする。コンロイは巨大なもの(テロ対策担当官)の態度に不信を抱き、携帯の電池を節約しろと言われながらも必死で何度も妻に電話をしようとする。そして巨大なもの(企業)から理不尽な解雇という酷い扱いを受ける。
ここに見えるのは、国や大企業など巨大なもの、権力があるものの前であまりに無力な個の姿なんだと思う。そしてその巨大なものの対極にあるのが、認知症の母親だったり、妻だったり、息子だったり、愛人だったり、そして犯人だったりなんじゃないかな。

エンディングはなんか急にお気楽な音楽が流れ始める。
曲の最後のほうに入っている、客席にいる人たちのわぁわぁ言うコールっぽい声。
ここでふと気づく。
個もまた、巨悪の一部になり得るのだ。
たとえば、人の絶望を娯楽に変える「消費社会」というかたちで。


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