SSブログ

レクイエム~ミカエラの肖像(2005) [ヒューマンドラマ]

原題:Requiem
監督:ハンス=クリスティアン・シュミット

あらすじ
田舎の敬虔なキリスト教徒の家庭で育った病弱な少女ミカエラは、大学進学を機に町に出て独り暮らしを始める。
友達や恋人もでき幸せな生活を送るミカエラだったが、原因不明の発作に襲われたり、ロザリオに触れなくなるなどが続き、自分は悪魔にとりつかれていると感じるようになる。

ドイツ映画です。
1976年に実際におきた事件がもとになっているとのこと。

悪霊にとりつかれてるとか何とかあらすじで読んだんですが、ミカエラの母親がかなり神経質というか、ミカエラに冷たく当たったり、ちょっとミカエラが自分の規範に沿わない行動をとるとキレる人だったので、精神疾患系なんだろうなと思ってみてました。
お祈りができなくなったりロザリオに触れなくなるのも、そういう宗教関係のものが抑圧的な母親の象徴として受け入れられなくなるんだろうな。
しかも彼氏ができたり、母親の望むような服装をやめたりすることによる罪悪感みたいなのがどっかにあって自由に生きたい自分と、いい子でいなきゃいけない自分の間での葛藤みたいなのが、精神疾患みたいなかたちで出てきてるんだろうな。……とか思ってたんですが。

なんかどんどんオカルト臭がしてきて、わくわくしてきた!
医者は精神科の治療が必要って言うんだけど、病気じゃなくて悪魔の仕業だと信じるミカエラは神父たちの悪魔祓いを受けることになって、それをみた大学の友達は、そんなばかなこと続けずに逃げようって言ってくれる。でもミカエラはそれが自分に課せられた宗教的試練だと受け入れるわけです。
……そして字幕で流れる後日談。
悪魔祓いの儀式を数十回続けたあと、ミカエラは衰弱して亡くなってしまったのだとか。

これで本当にオチが悪魔で、ミカエラの体からCG的な感じで悪魔が出てきたら、私の時間を返せ!って言いたくなるような私好みの駄作だったんですけれども、中途半端にまともな映画だったので、反応に困りました。

反応に困ったなりに考えてみたんですが、結局これってミカエラの自立と自分の世界探しの物語なんだろうなと思います。
信心深くない私(もしくは私たち)には、ミカエラは結局、親の世界観(宗教)から自分を切り離すことができなくて自立に失敗して死んでしまった…ある意味狂気の沙汰にも見えるわけですが。

ミカエラは親の世界(厳しく抑圧的)から飛び出て、大学で友達と下着姿で水遊びしたり、酒場で踊ったり彼氏つくってキスしたり、セックスを迫ったり、まあおよそ両親が眉をひそめるようなことは全部やっちゃって、しかも実家に帰ったときに口うるさい母親に対して、自由にさせてよ!とか反抗したりするわけです。
それは当然のことだと思います。
でも、それは親に反発したかった(する必要があった)だけで、ミカエラの世界はやっぱり神様の傍にあったんでしょう。
弱りきってベッドに横たわったミカエラが聖人の話とか殉教者の話を少し幸せそうに話していたのが印象的でした。彼女はうるさい親から自立して街で気ままに暮らしたり、母親が怒るようなちょっと派手な色の服を着ることに結局、価値を見出さなかったのです。
彼氏も、信心深くはない友達も最終的にはどうでもよくなって、神様と家族と神父のつくる小さな世界に安住することを決めたんだと思います。

親の用意してくれた世界をぶちこわして、ミカエラが再構築した自分の世界は、親の世界とかなり似たものだったんでしょう。
でも一回、親の世界をぶちこわして自分で選択したことに意味があるわけで、そういう意味ではミカエラは自立に成功したんだと思います。
外から見て、それがいくら失敗に見えようとも。

そして同時に、奇しくも記事の前半で私が得意げにやってたような、精神医学からの分析(笑)みたいなものは、結局、ミカエラ本人の世界を伴わなければ意味のないことなのだと、この映画は伝えているのではないかな?

難しくて私もよくわかんないですけれど、なんとなくそういうことを考えてみました。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。