SSブログ

サバイバル・オブ・ザ・デッド(2009) [怪物ホラー]

原題: Survival of the Dead
監督 ジョージ・A・ロメロ
脚本 ジョージ・A・ロメロ
出演 アラン・ヴァン・スプラング / ケネス・ウェルシュ / デヴォン・ボスティック / リチャード・フィッツパトリック

ダイアリー・オブ・ザ・デッド(2008)の続編。

あらすじ
ゾンビだらけになってしまった世界で、安全な島があるという情報を得た主人公たち。
その島に行ってみることにしたが……。



前作に引き続き、単なるゾンビパニック映画ではなく、社会派ゾンビ映画という感じになっています。
前作は主にメディアのことについて描いていましたが、今回は前作の最後で問題提起されていた、人間の本質についても描かれていて、主人公たちが出会った荒くれものたちがゾンビを残酷なかたちで生かしておいているシーンがありました。
ちなみに主人公は、前作の大学生たちではなく、大学生の車をとめて物資を強奪した州兵(元州兵かな?)たちです。
前作で大学生たちの視点から見ると、悪魔のような奴らでしたが、彼らも仲間を失った悲しみと怒りを抱えており、それぞれ必死で生き延びるために道を模索していた……という、善悪の二元論ではない、複数の視点をもっているわけですね。

そして、彼らが向かった安全な島、というのは2つの家族(一族)が対立しながら暮らしている島でした。
片方は、ゾンビになった人間は殺してやらなければならない、とゾンビになった我が子を寝室に鎖でつないでいる家に押し入って、子どもゾンビを撃ち殺す、という自警団的なことをやっている一族。

もう片方の一族は、ゾンビになった人を、彼らの馴染みのある場所(郵便配達人はポストの近く、木こりは薪割り場の近く)につないでおいて、本能に近い単純さで、ポストに手紙を入れる動きをしては歩き回りまた同じポストに手紙を入れるゾンビたちと共存……というか、人以外のものを食べるよう飼い慣らそうとするなど、ゾンビを支配する方法を模索する人たちです。

これは死という神の思し召し(あるいは自然の法則)をあるがままに受け入れるのか、抗い打ち勝って人間の下に置こうとするのかという違いですよね。
例えば、ジブリの「もののけ姫」なんかもそうですが、自然に怯えて自然が許してくれる範囲で暮らすのか、木を切り倒して自然を征服するのか、っていうのは人類にとって重要な分岐点だと思うのです。
ゾンビの登場によってその分岐点を再び迎えることになった人類は、どう生きるべきなのかということを考えさせられます。

私は、ゾンビ映画の醍醐味は(どこかで書いたかも知れないけど)、愛するものがそのままの姿で自分に襲いかかってくる恐怖や、愛するものが動いて生きているように見えるのに見捨てなければいけない絶望にあると思っています。
何を選び、何を捨てるのかをギリギリの場面で選択させられる、その葛藤。
泣きながら愛するものを撃つ者もいれば、愛するものに食われることを選ぶ者もいるわけで、先程、人類がどう生きるべきなのかを考えさせられると書きましたが、個のレベルでも「どのように生きてどのように死ぬべきなのか」という問題を突きつけられるわけです。

その、「どのように生きる(死ぬ)べきなのか」では最初の荒くれ者の例で述べたように、「敵だから残酷に痛めつけていいのか」「痛みを感じない相手になら何をしてもいいのか」「どうせ殺すなら残虐なことをしてもいいのか」という、自己防衛と攻撃の狭間にある倫理観や美学のようなものも問われていると思います。
そういった意味で、この作品は非常に優れたゾンビ映画だと思いました。

私はゾンビ大好きですが、ロメロ作品はリメイクのほうばかりを見てしまっているというモグリなので、実はゾンビを語る資格はまだないのですが(笑)
今回、ダイアリー&サバイバルの2本のオブ・ザ・デッドを見て、ロメロの他のやつも見てみたいと思いました。とりあえず、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を録画してあるので、見ようと思います。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。